何十年かたった未来にも価値を感じてもらえる「もの作り」をしたい。-Y.S.D LONDON


Y.S.D LONDON|ワイ・エス・ディー・ロンドン

ヘッドデザイナーのユカリ・スウィーニーと、彼女の娘であり仕事のパートナーでもあるキミカ・スウィーニー、そして愛犬テディ。2人と1匹のデザインスタジオ《Y.S.D LONDON》。
その特徴はなんといっても色。イギリスを象徴する曇り空のグレー。このグレーをベースにした色を使うことでそれぞれの色が相互に引き立ち、見る人のお気に入りの色以外は周囲に溶け込んでいくようデザインされているといいます。イギリスの街並みや田舎の風景、花や鳥、大好きな馬など日々目に映る一コマを描き起こしたデザインは、どこか古い絵本のページをめくるような懐かしさを感じさせてくれます。
日本で生まれ育ち、ファッション業界に就職。結婚を機にイギリスへ移り住んだ彼女の価値観は、環境保護やサステナブルといった視点に敏感なイギリスの土壌からも大きな影響を受けています。大量に作っては捨てるという消費のスタイルではなく、目指すのは自身の目や手の届く範囲でのもの作り。「古き良きもの」の価値を探り、何十年か経った未来、そういった価値を感じてもらえるもの作りをしたいという思いを胸に制作の過程にもこだわっています。
イギリスと日本、そしてアメリカをルーツとする彼女の言葉から、そのデザインや価値観に迫ります。

Beginning
サーフェスデザインへの道。

ー 日本のファッション業界では具体的にどんな仕事をしていたのですか?

2つの某アパレルで働いていました。
1つ目の場所では 「デザインをする」ということより「ものを売る」仕事がメインでした。精神的にすごく鍛えてもらった時期でもあります。友達からは「まるで宗教団体だな」と笑われることもありましたが「カリスマ」なんてものをはるかに通り越すような人がたくさんいて、いろんな意味で育ててもらいましたね。
2つ目は、ほぼ真逆の感性の鋭いワイルドなアパレルで、ここでは肩書きがつけられないような仕事をしていました。みんなに違った「好きなもの」があり、それぞれの個性が強くて、仕事のポストもよくわからない。ショップにも立つし、サンプル商品のフィッティングモデルもしたし(大昔の話です)、自社製品を身につけて他社のコレクションショーの最前列に普通の顔をして座るのも仕事のうち。とがってないと生きていけない時代だったのもありましたが、今考えるとかなり失礼な人だったかもしれません。
その後、結婚を機にロンドンへ移り住むことになりました。

《Y.S.D LONDON》スタジオ近くの風景

ー ロンドンで「サーフェスデザイン」を学んだきっかけは何ですか?また、サーフェスデザインの定義やその魅力を教えてください。

きっかけはビンテージものが好きだったこと。ファブリックでも昔の絵画やプリントが大好きなんです。 15、6年前のグリニッジマーケット(*1)はそういった品が豊富で、ある時かわいいファブリックを見つけたんです。あまりにもかわいいので友達にスカートを作ってもらったら、アートギャラリーでキュレーターをしている人に声をかけられて「あなたが履いているのはミッドセンチュリーに活躍した有名なデザイナー、マリアン・マーラーのものよ」って。
調べてみたら『TASCHEN』の『Decorative Art 50s』(*2)にそのファブリックが載っていて。これをきっかけに、プリントファブリックにのめり込んでしまいました。 もっと専門的に勉強したいと思って、大学のサーフェスデザイン科に入ったんです。ロンドンではいくつになっても勉強している人が多いので自然とそういう選択ができたんだと思います。
サーフェスデザインというのは「あらゆるものの表面に施すデザイン」ということです。 大学に入って最初の課題が「家で一番気に入っている部屋の表面を15cm幅で360度スケッチをする」というものでした。私はベッドルームを選び、これがかなりおもしろかった。 サーフェスデザイナーは、デザインを乗せる対象に制限がないのでとてもやりがいのある仕事だと思います。一つのデザインを、例えば大きな壁に入れるとしたら、から始まり、果てはマッチ箱に入れるとしたらどうするのか、というようにいろんな可能性を考えておきます。つまり、一つのデザインに多様性を持たせるというプロセスが一番重要なんです。

(*1)ロンドン南東部の都市グリニッジで1737年に創業した歴史あるマーケット。アンティークやアート、古着など曜日ごとにさまざまな出店が入る市場のような場所。
(*2)美術やデザイン分野の専門書を扱うドイツの出版社『TASCHEN(タッシェン)』が発行した、1950年代の装飾アートをまとめた書。

ー 《Paul Smith》での経験はどんなことが印象的でしたか?

サーフェスデザインを学んだ大学の卒業ショーの時に《Paul Smith》のメンズプリント部門のボスに「見つけてもらった」のがその後へとつながったのですが、のちに聞いたところ、その時にデザインした〈WILD WEST TOILE〉が理由だったそうです。今でもお気に入りのデザインなので、なんだかうれしかったです。 仕事中ポールがスタジオに来ることもあり、みんなのことをファーストネームでちゃんと呼ぶんですよ。スタッフも彼のことを「ポール」と呼ぶ。イギリスではそんなに珍しいことでもありませんが、フランクな感じがしました。
一番好きだったのは、スタジオの中央にある資料エリア。古い絵本や、アート、 デザイン関係の本、そしていくつもの箱にいっぱいのビンテージものが入っていて、そういったものを参考にデザインが進んでいくんです。ポールが集めたものもあると思いますが、スタッフが定期的にアンティーク市やジャンクショップから見つけてきたものもたくさんあり、それを掘り起こすのが大好きでした。
古くて良いものって必ず理由があるんです。その理由を見極めてものを探したり、そこから新しいものを作るという視点はその時に学びましたね。

ー 《Y.S.D LONDON》のデザインは日本・アメリカ・ヨーロッパのテイストが融合しているとのことですが、日本で生まれ、結婚後ヨーロッパに移り住んだユカリさんにとっての「アメリカ」のルーツとは?

アメリカのルーツは、私の母の国だということ。 母は広島で生まれ育った日本人でした。私が生まれたのは母が日本にいた時ですが、その後両親が離婚し、アメリカ人と再婚した母はアメリカに渡ってアメリカ人になったんです。離婚すると子どもの親権は父親が持つのが一般的な時代でした。今でも半分血のつながった弟と妹、そして継父がアメリカにいます。若い頃はよく母のもとを訪ねていました。 私はアメリカのテイスト、空気、そしてグラフィックやインダストリアルデザインが大好きです。ヨーロッパのものよりもワクワクするし、しっくりくるんです。母がアメリカから送ってくれたクリスマスやバースデーのカード、母の家に行って開けた冷蔵庫やパントリーの中にあったパッケージデザインなどにかなり刺激されました。

Inspiration
自然から学ぶこと。

ー 何をしている時に新しいアイディアが浮かびますか?また、デザインの主なインスピレーションの源は何ですか?

デザインのもととなるイメージやアイデアは、いつでも、どこでも浮かびます。
朝起きてから夜寝るまでの、暮らしのすべての時間が新しいアイデアを得るチャンスだといえます。
愛犬テディとの散歩の時の風景、友達とのおしゃべり、アートギャラリーでの刺激、好きなデザイナーのコレクション。挙げたらきりがないですが、日常の本当に普通にやってくる五感への刺激がインスピレーションの源になっています。
いつもテディが彼の視線(私の膝あたりの高さ)にある美しいものを見せてくれます。ワイルドフラワー(野花)がその一つ。〈WALKING IN THE WOODS〉は、テディがいなかったら多分デザインしていないと思います。

ー 自然や花のモチーフのデザインが多いですが、特に好きな花はありますか?

私は、タンポポやカウパセリなど道端に咲くようなワイルドフラワーが好きです。大好きな言葉の一つに“A flower does not think of competing to the flower next to it. It just blooms.(花は隣に咲く花と競うことなど考えない。ただそこに咲くだけだ)”というものがあります。要は「ありのまま」ということなんですけれど、花や草や木は下心なしにただただ咲く、そこにある、というのが素晴らしいなと思うんです。 季節を知らせてくれる花も好きです。紫陽花とか、椿とか、金木犀とか。

ー どの季節が一番好きですか?

秋です。いろんな色や匂いが散乱していて本当に刺激的な季節です。道に落ちている葉を見て歩くだけで、自然というデザイナーによる「お手本」を見ることができるでしょう。花や葉を落としながら、それでもきれいな植物を見るたびに「自然にはかなわない」と思います。
合わせて、ここ数年心臓が悪い老犬テディにとっては暑い夏が「峠」なんです。ああ、また今年も無事に峠を越したなとほっとします。